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  • 「青い鳥」

     朝、娘が不機嫌だった。妻も苛々していた。食卓の空気が悪い。なんとか場を取り繕おうと自分でも気持ち悪いくらいの笑顔が話し掛けていたら、窓辺から別の誰かの声が聞こえた。    バルコニーの桟を止まり木にしている小鳥だった。美しいダークブルーの羽根が朝日に照らされて輝きを放っている。ピーツツピーと鳴いている。ぼくらは箸を止めてしばらくその声に聞き入っていた。 「イソヒヨドリだね」と妻が言った。  海岸沿いでよく見られる鳥だ。 「去年も来てたね」とぼくが言った。  雄だ。 「去年来てた子と同じ子かな」と娘が言った。  ピーツツピーと鳴いている。  それが雄の求愛行動だというのを去年知った。何日も求愛して週末に雌がやってきた。結ばれたんだと思う。ただ寿命が 5 年から 10 年と推測されている彼らは一夫一妻か一夫二妻だというから二人目の妻を求めてやってきたというのも考えられなくはない。だとしたら海が一望できるこの場所ならうまくいくと味を占めてまたやって来たのだろうか。かわいく鳴いていたイソヒヨドリが急にダークブルーの外車に乗ったプレイボーイに見えてくる。  そのことを口にしよ...

    12時間前

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  • 「地鳴り」

     夜、海の向こうから地鳴りが響いた。妻と娘は眠っている。飲みかけのハイボール片手にベランダに出る。一旦止んだと思いきや、また重低音が鳴り響く。地の底から込み上げて来て窓ガラスを振動させるような地鳴りだ。    それが東富士演習場における自衛隊の砲撃演習だと知ったのは何度目かの地鳴りを聞いている最中だった。榴弾砲。陸上自衛隊の自走砲だ。ウクライナの戦場でロシアの戦車を迎え撃つ大砲を見たことがある人もいるだろう。それが対岸で何度も放たれている。暗闇を震わせるその重低音がぼくには戦争の足音のように聞こえてならなかった。    政権が移行したばかりの台湾では中国軍が大規模な軍事演習を行っていた。もしも台湾有事が起きてアメリカが手を出したら真っ先にミサイルが飛んで来るのが米軍基地のある嘉手納と横須賀だと言われている。基地のある街で暮らすことのリスクを再認識する。どうして基地はなくならないのだろう。そう呟くと戦争がなくならないからだ、ともうひとりの自分が答える。ならば戦争はどうしてなくならないのだろう。  アインシュタインから「人間を戦争というくびきから解き放つことはできるのか?」...

    2日前

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  • 「子供の自主性をどう育んでいくか」

     ある打ち合わせの場でこんな話を聞いた。 「日本の子供たちは自己肯定感が低い。かつ未来が自分の手で変えられると思っていない」   7 歳の子供がいるぼくにとっても耳の痛い話だった。     8 年近く親をやってきた経験で自分なりに分析すると原因のひとつに「~しなさい」という親の命令口調があるのではないだろうか。  たとえば「早く片付けなさい」とか「早く食べなさい」と上から言われると子供は反発する。ぼく自身にも子供時代に経験がある。親に「~しなさい」と言われるたびに「今やろうと思ってたのに」と自主性を削がれてやる気を失くしていた。自己肯定感も低くなるし自主性もなくなっていくのかもしれない。指示や命令に慣れすぎてしまったせいで言われないと何もしない人間になってしまうという話も聞く。自分で考えて行動することができなくなってしまうのだそうだ。社会人の中で「指示待ち族」という言葉を聞くのもそういう子供時代が背景にあるのではないだろうか。 「早く寝ないとお化けが来るよ」とか「ちゃんと食べないと倒れちゃうよ」も同じだ。 命令。指示。注意。脅迫。 説教。忠告。そして解決策の提案。すべて...

    5日前

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  • 「未来は過去にある」

     「猿の惑星」を最初に観たのは小学生のときだ。 厚木基地の米軍機が昼夜問わず団地の上を爆音で飛んでいた。米ソの冷戦も続いていた。「ノストラダムスの大予言」では世紀末に核戦争が起きて世界は破滅すると書かれていた。そういう時代背景で観た「猿の惑星」は単なるノンフィクションとは思えない衝撃をぼくに与えた。そこに描かれていたのは紛れもなく今と地続きの未来だった。かつて日本人の捕虜となった経験のあるフランス人作家ピエール・ブールの小説に大きなアレンジを加え、人種差別。軍拡競争。そして核兵器を手にした人類―――いや、はっきり言えば核兵器を崇拝するアメリカという国家の愚かさに対する強烈な風刺。それをアメリカの映画界が描いたことにぼくは子供ながら震えていた。  あれから 50 年。新しい「猿の惑星」が公開された。「猿の惑星 キングダム」。エンターテインメントとしては超一流の作品だったけれど、風刺映画としては物足りなかった。人類の愚かさの象徴として新たな地球の支配者となった猿が欲しがっていたのは戦車であり、拳銃だった。地球上にあれだけ存在していた核兵器はどこに行ったのだろう。自らが作り出したウイル...

    2024-05-22

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  • 「淋しかったけど、楽しかった」

    「さびしかったけど、たのしかった」  娘が学校で書いた作文をそんな一文で締め括ったことに対して先生からこんな赤字が添えられていた。 " どっちだったのかな? "   「これ、ダメってことなのかな?」と娘は納得が行っていない様子だった。ぼくが彼女でもそう思っただろう。 「どっちもですって答えていいんだよ」と妻が言った。 「いいの?」 「だってどっちの気持ちもあったんでしょ?」とぼくも確認した。 「うん。さびしかったけど、たのしかった」  そして、こう付け加えた。 「ダメなんかじゃなくてむしろ素晴らしい表現だと思うよ」と。  人間の感情というのは複雑なものだ。時には矛盾する感情が共存している。味だってそうだ。甘いのに辛いから甘辛いという複雑な旨味になる。同じように相反する感情があるから人間らしいと言える。むしろ一点の曇りもなく楽しいなんて時の方が希なんじゃないだろうか。  親馬鹿と言われてしまうかもしれないけれど、そういう一見矛盾する気持ちを素直に表現した娘を褒めてあげたかった。 " どっちなのかな? "    国語に限らず、娘はこれから様々な教科で「一点の曇りもな...

    2024-05-20

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  • 「田舎暮らしってのんびりしているんでしょう?」

     田舎暮らしってのんびりしているんでしょうとよく言われる。田舎暮らしと呼べるほど田舎に住んでいるわけでもないのだけれど。海辺の町で暮らして 14 年目。実感としては都会で暮らしていた頃より忙しい。    ある日の行動をそのまま書いてみる。  朝食。娘を学校へ見送る。在宅勤務の妻と二人分のコーヒーを淹れる。リモートで打ち合わせ。里山の菜園でトマトの芽かきと伸び過ぎた枝の剪定。原稿を書く。妻と一緒に蕎麦を食べる。原稿の続きを書く。ランニングでひと汗掻いてシャワー。下校してくる娘を迎える。二人分のカフェオレを淹れる。リモートで打ち合わせ。夕暮れの浜辺で娘と縄跳びでまたひと汗掻く。入浴。バルコニーで海を見ながらビール。夕食。妻は娘とカードゲーム。ぼくはバスと電車で渋谷のラジオのスタジオへ行く。生放送。帰宅は午前零時前。    忙しいのは仕事をしているだけじゃないからだと思う。海辺の町に来て菜園を始めたのと子供ができたのも変化としては大きい。これが都会であれば子育てはシッターさん、食事は Uber EATS などにアウトソーシングすることもできるのかもしれないけれど、この町には代行してくれる手...

    2024-05-17

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  • 「母の日のもうひとつの意味」

     妻が娘に「いつもありがとう」と母の日のプレゼントを贈られている姿に今年も目頭が熱くなる。  母の日。子供の頃は当たり前のように子が母に感謝するだけのものだと思っていた。ところが同じものでも視点が変わると違う意味が見えてくるように自分が親になってからは違う意味合いを感じるようになる。    それは大切な人を彼女が望んでいた「母親」にしてくれた娘への感謝だった。当然のことだけれど、娘が生まれていなければ妻は母親にはなっていない。母の日に感謝することはあっても感謝されることはなかった。妻も同じ気持ちだったのだろう。母の日のプレゼントをくれた娘を「お母さんにしてくれてありがとう」と抱き締めていた。  しかしながら、娘は自分が生まれてきたことに感謝されても今ひとつピンときていない。ぼくは彼女が産道を出てくる際、臍帯が首に巻き付いて心拍が低下したときの話をした。 「とてもがんばって生まれてきてくれたんだよ」  母の日は母親にして貰えたことに、父の日は父親にして貰えたことに、勤労感謝の日は仕事があることに、それぞれ感謝される側が感謝する日でもあるのだと感じた。感謝されるのは感謝...

    2024-05-15

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  • 「青春スキップ」

     子供ってどうしていつもスキップしているんだろう――と、うっかり主語が大きくなってしまった。娘の話だ。彼女はぼくの前を歩くときいつもスキップししている。ポニーテールを左右に揺らしながら飛び跳ねるように歩いていく。     2 年生に進級して小学校が俄然楽しくなったらしい。 「学校の電子ピアノでブリンバンバンボンを弾いたよ」 「てけてけって知ってる? すっごい怖いんだよ」 「夜の学校は家より妖怪に遭うリスクが高いんだよ」  なんて具合に毎日のようにクラスメートたちと共有した新しい情報を仕入れて帰って来る。夕食のときも朝食のときもずっと学校であったエピソードを切れ間無く話続けてくれる。内容はよくわからないことも多いけれど友達に囲まれて賑やかにやっているんだなという様子だけははっきり伝わってくる。  スキップで飛び跳ねていく娘の後ろ姿を見て、彼女にとっては今が人生最初の青春なのかもしれないと感じた。人生の春。生きていることが楽しくて仕方ない。この瞬間が永遠に続けばいいなと感じている。過去でも未来でもなく、今だけを見ている。彼女は今そんな季節を生きているのなのかもしれないと。  ...

    2024-05-13

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  • 「時間が馴染ませてくれること」

      14 年振りに神戸に来ることができた。新長田の駅を降りる。被害が大きかった町のひとつだ。震災後に建てられたビルの向こうに再建された商店街が伸びている。学校帰りの高校生たちが屯している広場では復興の象徴として建てられた等身大の鉄人 28 号が夕陽を背に受けて輝いていた。    町の再建にあたってコミュニティが破壊されるという住民の反対をニュースなどで注視していた。それでも行政は災害に強い町作りを強行した。インフラ的にも経済的にも強いことを優先すると。それはコミュニティを優先して欲しいという住人の願いと相容れるものではなかったのかもしれない。かつてのコミュニティは壊れてしまったのかもしれないし、その後の不況やパンデミック、少子高齢化など複合的な理由もあって元通りになっているとは言えないのかもしれない。事実、復興はうまく行っていないというニュースを目にしたこともあった。  それでも 29 年経った今、長田の町で生きている人たちの姿を見て「時間」が答えを出してくれるものがあるのだと感じた。時間が「解決してくれる」とは言わない。でも時間が「馴染ませてくれる」ことはあるのかもしれないと。...

    2024-05-10

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  • 「波紋を生まないように」

     娘が相変わらずトットちゃんに夢中だ。「窓際のトットちゃん」を読み終えた後すぐに「続・窓際のトットちゃん」に突入した。あんまり夢中で読んでいるので妻が気を利かせて買っておいてくれたのだ。続編を 42 年待っていた人も多い中、たまたま手に取ったタイミングがトットちゃんと同じ学年で、かつ続編が発売されたばかりというのは運命の巡り合わせとしかいいようがない。    そんなトットちゃんの続編を読んでいた娘が「仕事と結婚」と呟いた。 「トットちゃんは結婚しなかったんだって」 「そういう人もたくさんいるよ」とぼくは答えた。 「アンナはバレエと結婚したんだよ」  白鳥の湖で魅せた「瀕死の白鳥」が代名詞となった 20 世紀初頭のロシアのバレリーナ、アンナ・パブロワ。娘は彼女の伝記漫画を何度も読んでいた。 「マイヤは結婚したんだよ」  父親がスパイの容疑でスターリンに粛正されるも、ロシアのボリショイバレエ団に入団。 20 世紀最高のバレリーナと称されたマイヤ・プリセッカヤ。彼女のことも娘は伝記漫画で知った。ともにバレエに夢中な娘にとっての憧れの存在だ。 「ママは結婚と仕事を両立しているよね」 ...

    2024-05-08

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